燈無蕎麦(消えずの行灯)
「津軽の太鼓」よりやや東に行ったところを現場とした。
「燈無蕎麦(消えずの行灯)」は本所南割下水というだけで場所が特定されてないらしいからね。
―以下全てお話部分はWikipediaを引用―
江戸時代、本所南割下水付近には夜になると二八蕎麦の屋台が出たが、そのうちの1軒はいつ行っても店の主人がおらず、夜明けまで待っても遂に現れず、その間、店先に出している行灯の火が常に消えているというもの。
この行灯にうかつに火をつけると、家へ帰ってから必ず不幸が起るという。やがて、この店に立ち寄っただけでも不幸に見舞われてしまうという噂すら立つようになった。
逆に「消えずの行灯(きえずのあんどん)」といって、誰も給油していないのに行灯の油が一向に尽きず、一晩たっても燃え続けているという伝承もあり、この店に立ち寄ると不幸に見舞われてしまうともいわれた。
その本所南割下水の説明板が緑町公園にあったから、詳細はこれを読んでねー。
まだこの道路が堀だった頃、ここには「松花橋」という橋が架かっていた。
たしかに総武線の線路を挟んで南にある京葉道路(国道14号)よりは絶対的に交通量は少ないけど、もはや怪談の似合わない街並みになったね。
ただこの通り、お店の数は少ないから今でも二八蕎麦の屋台を出したら繁盛するんじゃねえかと思うけどね。
これを奥へ進むと錦糸町駅の方へ行く。そう、最初の「置行堀(おいてけ堀)」の第三候補地に着く。
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