番町皿屋敷のお菊ちゃんに逢いたいツアー
ってなわけでございまして、JR市ケ谷駅で降りて、新坂を上っていよいよ番町巡り。
何で番町に興味が湧かねえかっていうと、武家地でしょう。町人地の「・・町」っていうあの細かい括りと混じってれば面白えんだけど、「・番町」っていう機械的でつまんねえ名前。東宝シネマズみたいな退屈な名前。それじゃ歩く気もないよって。坂ばっかりだしさ、夜んなりゃ誰もいやしねえし、面白くも何ともねえ。
実際は、時代劇みたいに門の前には表札なんか出してなかったらしいね、大名や旗本たちは。だから「番町にいて番町知らず」って言葉も有名になるわけだ。どこ歩ってるか分かんねえもんな、表札のない屋敷ばっかりで、目印が何にもねえんだから。
そうなると逆に隣の麹町の町民の方が番町のことに詳しくなったんだって。何故なら、番町を訪れる人の道案内に終始したんだそうだよ。で、ある町民が頓知を効かせて『番町切絵図』を作ったところ、売れに売れた。おかげで平成時代に生きるこの俺様もこうやって番町をフラフラ散歩できるってもんよ。これが画像1ま~い。
日本テレビ前
ここに来たのは大学時代ぶりかな。あんときは「ズームイン!!朝! 」のお天気お姉さんやってた小池由紀子ちゃんにバンドのギター担当の友達と逢いに来たんだ。何と出番ぎりぎりまで俺達と喋ってくれたんだよ。「ファンレター書いたこともあった」って言ったら、その内容を覚えててくれてて、感激したなぁ。しかし、可愛かったなぁ…、小池由紀子ちゃん。あんなに細くて可愛かったのに、ジャックに所属してたっていうのは後から知った。よかったよ、不審者と間違えられてぶん投げられなくて。
ご存知のとおり、日本テレビは汐留に行っちゃったから、ここは「麹町分室」ってことにされている。一時期、RFラジオ日本が移転してくるって可能性もあったらしい。
これが画像2ま~い。
番町で興味のある事柄は一つだけ。それを探してるんだけど、ここでもない、そこでもない。マンションばっか。
んで、これが画像3ま~い。
番町皿屋敷?
ここだ!あったあった、イメージにピッタリのお屋敷。
ただ勿論ここは火付盗賊改青山播磨守主膳の屋敷じゃあない。だって『番町皿屋敷』は作り話だからね。でもいいじゃな~い?だって番町なんて殆ど全部ビルだよ、会社かマンションか。で、上二番町だけどこういうイメージどおりのお屋敷が見付かってよかった。
え、「電柱に一番町って書いてあるだろ?舞台は五番町じゃないのか?それに何だよ、上二番町って?」てか。
そう、設定上、青山播磨守主膳の屋敷があったとされるのは「牛込御門内五番町」。でも五番町だからって何の疑いもなく五番町に行ったらど素人だよ。
番町ってね、ややっこしいことに入れ替わってんだよ。
「牛込御門内五番町」っていうのは今の一番町なんだよ。で、今の一番町っていうのは当時五番町だったところと上二番町を併せた地域。震災復興後の昭和初期に町域変更をやったからね、ややっこしいけど。
で、当時の五番町、正真正銘の五番町っていうのは東京メトロ半蔵門線半蔵門駅の半蔵濠側の地域。でもそこはもうビルばっかだから行ってもしょうがないかなと思ってここいらを散策。上二番町だけど皿屋敷に似つかわしいお屋敷を見付けたってわけ。
だって「1ま~い、2ま~い…」っていうお菊ちゃんの声が聞こえてきそうでしょ?
これが画像4ま~い。
任務完了!!
え?「もう終いか?」って?そうだよ、終いだよ。
だって、これが画像4ま~い。「しま~い」だからね。
おあとが宜しいようで…。
その対面にこんなのも在った。ここは王子ホールディングスの王友荘。持ち株会社の保養地?金持ち会社が贅沢こきやがってとも思うけど、こうやって番町らしさを維持してくれてる有難さや。
帯坂(一名切通し坂)
ってことで、五番町(今の一番町)には行かずに帰ぇるとすっか。
ここをお菊ちゃんが髪をふり乱して、帯を引きずって逃げてったから、ってんでこういう坂名になったってわけだ。本当はお菊ちゃんなんか実在しなかったんだけどねぇ。
青山播磨のお屋敷から市ヶ谷御門へと抜けて実家に帰ろうと思ったのか。お菊ちゃんの実家は隅田川に近い下町だったようだ。
設定ではこの帯坂を上り切ったところに青山播磨の屋敷が在るってことになってるようだけど、坂上は中六番町ってとこだよ。あ、江戸期は表六番町か。そう、今は四番町でルクセンブルグ大使館がある辺りね。語り出しで「五番町に青山播磨の屋敷が在る」って言うけどさ、もう地理滅茶苦茶じゃねえかよ。東京っ子舐めんじゃねえぞ!
そう、たしかにね、帯坂の上がり切ったところの、二七通りより北はたしかに五番町だよ、今はね。でもここが土手三番町から五番町になったのは1938(昭和13)年だよ。『番町皿屋敷』ってお話は江戸時代に作られたんだろ?
それに「火付盗賊改」っていう役職が作られたのは1662(寛文2)年だって言うぜ。お菊ちゃんがお皿をおっ欠いちゃったのは1653(承応2)年1月2日なんでしょ?
おいおいおいおいっ!いくら難でもそこはちゃんとやんない??時代考証とかちゃんとやろうぜー。興醒めだよー。何度も言うけど、当時の五番町って半蔵門の方だぜ。
歌舞伎、浄瑠璃、落語、テレビドラマ、全部ちゃんとやれ、東京っ子も観てんだぞ!
帯坂(一名切通し坂)
『番町皿屋敷』は作り話だから、勿論お菊ちゃんなんていやしねえし、帯引きずってこの坂を走ってなんかない。俺は何しに番町へ?
帯坂(一名切通し坂)
お話の中では急坂っていうことになってるようだけど、実際はかなり緩やかな坂なんだよ。坂上には坂名標はあるんだけど、坂下には何にもない。
しかしね、お菊ちゃんって何となく艶っぽいお姉さまを思い浮かべるでしょ?25歳ぐらいの色っぽいいい女をさぁ!
下は、映画『番町皿屋敷 お菊と播磨』、お菊役の津島恵子。あら可愛い。
いやいや、お菊ちゃんが奉公に出たのが16歳、井戸に投げ込まれたのが翌年の17歳だよ。今でいう高校2年生、早生まれで高校3年生だよ。
いくら美人だったからって、ションベンたれのガキじゃねえか!バカみたいにスカート短くして穿いて、「~じゃね?」、「マジウケるぅ」とか言ってる女子高生を思い浮かべてみてよ!うちの娘とそんなに変わんないんだよ。そう考えると何か急に興醒めだなぁ。
で、上の津島恵子、この撮影時には既に28歳…。よく16・17歳を演じたなぁ! ま、いいか、可愛いから。
ってことで、この坂降りると市ケ谷駅。電車乗る前に、お濠を越えて、ホッピー引っ掛けて帰ぇろっと。
しかし、俺は何しに番町へ?
―了―
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