【南豊島】角筈渡辺町

町名:角筈渡辺町

読み方:つのはずわたなべちょう又はつのはずわたなべまち Tsunohazu-Watanabechō or Tsunohazu-Watanabemachi

区分:俗称

起立:不明

廃止:不明

冠称:「角筈」

現町名:新宿区新宿三丁目

概要:『新宿大通り280年史』(新宿大通商店街組合)の「大火による消失範囲」という地図に「角筈渡邊町」とある。ただし、俗称。

この地域は江戸期、旗本・渡辺氏の屋敷があり、そのすぐ南には玉川上水が流れ、土塁が築かれていた。明治期以降は両者を合わせて「渡辺土手際」と呼ばれた。

「渡辺土手際」については、「そもそも、屋敷地跡を『字渡辺』、土塁付近を『字土手際』といい、それぞれ別々であったが、いつの間にか合併した」という説がある。Wikipediaの「角筈」でも、1932(昭和7)年10月1日に東京府東京市淀橋区が発足した際に、角筈一丁目のうちとなって消滅した小字として、「字渡邊・添地町・土手際・五十人町十人町・矢場」というように、別々の字として掲載されている(罫表の見出しには、「実施前(いずれも淀橋町大字角筈で、各字名ともその全域)とある)。ただし、『土地概評価 豊多摩郡淀橋町 大正9年8月調』には、大字角筈のうちの小字1~27番地まで「渡辺土手際」として掲載されているため、その真偽は不明。

なお、『土地概評価 豊多摩郡淀橋町 大正9年8月調』の「渡辺土手際」の項には、「市電終点附近(武蔵野舘以西)より新宿駅附近に至る電車通の南側全部にて南端に京王電車通あり、終点附近は稍繁華なる商業地なり、裏地も亦新宿駅を控へて貨物の集散上重要なる地位を占む」とある。

撮影場所:角筈渡辺町

撮影地:新宿区新宿三丁目36番12号(杉忠ビル)

追分町 内藤新宿添地町


参考:『新宿大通り280年史』(新宿大通商店街組合)

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。