【麹町①005】大手町
町番号:麹町①005
町名:大手町 一・二丁目
読み方:おおてまち Ōtemachi
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
冠称:なし
廃止:存続
現町名:千代田区大手町一・二丁目の各一部、丸の内一丁目の一部
概要:1590(天正18)年、徳川家康の入府後、現在の丸の内地域と同様に日比谷入江が埋め立てられて「大名小路」と呼ばれた。成立以前は、大手門外の大名小路北部の播磨姫路藩酒井氏、越前福井藩松平氏、出羽鶴岡藩酒井氏、豊前小倉藩小笠原氏等の上屋敷が連なっていた。明治維新後、武家屋敷は取り壊された。
1872(明治5)年、起立。同年の戸数6・人口143(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。明治30年代、町内には大蔵省、内務省、内閣官報局、憲兵司令部、会計検査院、印刷局、東京大林区署、私立商工中学校等があった(画報)。
1929(昭和4)年4月15日、帝都復興計画の一環により再編が行われ、大手町一・二丁目の各一部、道三町の一部、元衛町3番、永楽町二丁目の一部が大手町一丁目に、大手町二丁目の一部、道三町の一部、銭瓶町、永楽町二丁目の一部が大手町二丁目となる。また、永楽町一・二丁目の各一部、道三町の一部、大手町一丁目の一部が合併して丸ノ内一丁目の起立となる。
1943(昭和18)年7月1日、東京都麹町区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。1952(昭和27)年、分散していた中央官庁を霞ヶ関に集中させる都市計画が決定され、多くの敷地が民間に払い下げられた。その後、高度経済成長期におけるビルの新築ラッシュにより、官庁街は丸の内地域から続くオフィスビル街へと様変わりした。一般的に「大手町」は城郭の大手門の前の町を指す名称である。当地も皇居の大手門(嘗ての江戸城正門)の前であるためにそう呼ばれた。よく言われる「大手企業が事務所を構えているから」という理由ではない。
1970(昭和45)年1月1日、住居表示の実施により、現行の一・二丁目となる。
撮影場所:大手町一丁目
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