【日本橋①024】元四日市町
町番号:日本橋①024
町名:元四日市町
読み方:もとよっかいちちょう Moto-Yokkaichichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1928(昭和3)年
冠称:なし
現町名:中央区日本橋一丁目
概要:日本橋の南側で、川に面して位置した。当町の発端は徳川氏入国の当時、相模の曽我小左衛門が小田原から町屋を移したことに始まるが、一帯は以前、「四日市場村」といわれ、毎年4の日に市が立ったという(画報)。四日市町は明暦の大火後、隣接の万町とともに町屋の一部を霊岸島に移転させたため(霊巌島四日市町)、「元」の字を付した。移転跡地は防火のための広小路(江戸橋広小路)となり、日本橋川河岸に高さ4間・長さ2町もの土手蔵が建てられた。古くからの市の面影は残り、草物、野菜、乾魚等の市が立ち賑わった。また、狂歌に「四日市百八軒の床みせに数を合わせた珠見世もあり」と歌われるように、床見世が多かった(画報)。他に伊豆熱海温泉出張所の熱海庵があった(買物独案内)。日本橋川に面した河岸に四日市河岸の他に、木更津通いの舟の発着する「木更津河岸」、切花を陸揚げする「花河岸」等があった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、活鯛屋敷(いきだいやしき)、日本橋蔵屋敷を合併。1872(明治5)年の戸数83・人口535(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。同年錦町の一部を編入。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。日本橋魚市場の一画を成し、1901(明治34)年、当時の問屋58人、仲買の取引額783万余円に上った。
1928(昭和3)年、帝都復興計画の一環により、通一丁目、江戸橋一丁目に編入となり消滅。現行の日本橋一丁目のうち。
撮影場所:元四日市町
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