【日本橋①022】通

町番号:日本橋①022

町名:通 一~四丁目

読み方:とおり Tōri

区分:町丁

起立:1603(慶長8)年

廃止:1972(昭和47)年12月31日

冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」

現町名:中央区日本橋一~三丁目

概要:現在の中央通りを挟んだ両側に位置し、日本橋際から京橋一丁目に至る南北に細長い地域。江戸期には日本橋寄りから一~四丁目があった。江戸開府に伴う慶長年間(1596~1615年)の土木工事によって成った地で、1603(慶長8)年に起立。町名は、東海道の起点である日本橋南の本通りの意で、中通りに対し「大通り」ともいい、元禄江戸図には単に「南」とある(日本橋通南)。南伝馬町とともに江戸第一の交通繁華な商業街で、『続砂子』に瀬戸物、書物、畳表、砥石等の問屋が多いとある。一丁目の東側には1662(寛文2)年創業の白木屋があり、呉服、奇応丸、墨等を商った。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、通一丁目新道通二丁目新道を合併。1872(明治5)年の戸数494・人口3,020(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。江戸期から町内には、「木原店」、「十九文横丁」、「式部小路」(備考)、「三筑長屋」、「植木店」(続砂子)、「食傷新道」、「稲荷新道」等の俗称地名がある。明治以後も一貫して東京第一の繁華街であり、鉄道馬車、次いで市街電車の走るメイン・ストリートの起点であった。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。

1928(昭和3)年には、帝都復興計画の一環により、西河岸町呉服町万町平松町元四日市町元大工町数寄屋町川瀬石町新右衛門町檜物町上槇町下槇町箔屋町等の一部又は全部を合併し、一~三丁目とする。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。

1973(昭和48)年1月1日、住居表示の実施により、現行の日本橋一~三丁目に編入となり消滅。

撮影場所:通二丁目

撮影地:中央区日本橋二丁目4番1号(日本橋高島屋 S.C.)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。