【日本橋①049】大伝馬町
町番号:日本橋①049
町名:大伝馬町 一・二丁目
読み方:おおでんまちょう Ōdemmachō
区分:町丁
起立:1606(慶長11)年
廃止:存続
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」
現町名:中央区日本橋本町二・三丁目、日本橋大伝馬町、日本橋小伝馬町
概要:江戸期には本町通りを挟んで一・二丁目があった(現行の日本橋本町二・三丁目、日本橋大伝馬町一丁目のうち)。江戸初期の大伝馬町は呉服橋内にあり、1606(慶長11)年に移転。町名は馬込勘解由の役屋敷が置かれ、道中伝馬役を務めたことによる。馬込氏は三河の出で、徳川家康入国に際し、高野新右衛門等と人夫駄馬を率いて出迎えた功により伝馬役を命ぜられたという。幕末まで名主を世襲し、邸内には宝田稲荷があった。また、馬込氏配下の伝馬役の町人の始めた三河木綿の仲買はのち木綿問屋へと発展し、当町は木綿問屋街となった。江戸の問屋商業の発祥の地。1705(宝永2)年には55軒の問屋があり、「木綿店」とも呼ばれた。また二丁目裏には瓢箪店が多く、「瓢箪新道」と呼ばれた。今も1月と10月の恵比須講に浅漬けの大根を売る「べったら市」が立つ。嘗ては冬の到来を告げる風物詩の1つであった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数298・人口1,070(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。
1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、一丁目は本町二・三丁目の一部となり、二丁目を一丁目と改称、同時に二丁目の一部を小伝馬町一丁目に編入。また、通旅籠町の一部に二丁目、通油町に三丁目を起立し、一~三丁目となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。現行の日本橋本町二・三丁目、日本橋大伝馬町、日本橋小伝馬町。
なお、日本橋大伝馬町は住居表示の実施により、1980(昭和55)年1月1日、丁目を廃した。
撮影場所:大伝馬町一丁目
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