【日本橋①054】堀江町

町番号:日本橋①54

町名:堀江町 一~四丁目

読み方:ほりえちょう Horiechō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1933(昭和8)年

冠称:なし

現町名:中央区日本橋小舟町、日本橋小網町

概要:一~四丁目があった。『安政板切絵図』によると東堀留川の西側に位置する町名は、徳川氏入国後魚類調進の御用を務めた漁師堀江六郎がこの地を拝領したことにより、のち町地となってこの称が付された。東側の河岸地を「西万河岸」と称した。三丁目と四丁目の間の通り、即ち荒布橋から親父橋に至る通り(都営浅草線が地下に通る)は下駄と傘を商う店が多かったので「照降町(てりふりちょう)」といった(備考)。堀江町の名物は団扇問屋で、また親父橋際には会席料理屋等があった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数245・人口1,027(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、一~三丁目が小舟町一・二丁目に、1933(昭和8)年、四丁目が小網町一丁目に編入となり消滅。現行の日本橋小舟町の南側で、日本橋小網町との境を成す通りのうち。

撮影場所:堀江町三丁目

撮影地:中央区日本橋小舟町9番地17号(ZS中央ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。