【日本橋①064】葺屋町

町番号:日本橋①064

町名:葺屋町

読み方:ふきやちょう Fukiyachō

区分:町丁

起立:元和年間(1615~1624年)

廃止:1933(昭和8)年

冠称:なし

現町名:中央区日本橋堀留町一丁目、日本橋人形町三丁目

概要:江戸橋東北の入堀・東堀留川に面し、沼地であったのを元和年間(1615~1624年)に埋め立て起立。町名は屋根葺職人が多く居住したことによる。隣接の堺町とともに、寛永(1624~1645年)~天保年間(1830~1844年)にかけ、200年余の間賑わった歓楽街。1634(寛永11)年、京都の座元・村山又三郎がこの地に村山座を創設、後に「市村座」と改称。櫓太鼓の鳴り響く、芝居茶屋の多い町であった(続砂子)。天保の改革により1842(天保13)年、市村座は浅草猿若町に移転。里俗に「暮踏町(くれぶみちょう)」と称した(案内)。又は「雪駄町」ともいった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数83・人口326(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。

1932(昭和7)~1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、堀留町一丁目、芳町二丁目に編入となり消滅。現行の中央区日本橋堀留町一丁目、日本橋人形町三丁目のうち。

撮影場所:葺屋町

撮影地:中央区日本橋人形町三丁目3番3号(セイビ人形町ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。