【日本橋①063】富沢町
町番号:日本橋①063
町名:富沢町
読み方:とみざわちょう Tomizawachō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:存続
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」
現町名:中央区日本橋富沢町
概要:町名は鳶沢某が開いた地なので「鳶沢町」としたが、後に「富沢町」となったと伝える。鳶沢某は江戸初期の盗賊で、家康に捕えられたが助命され、盗賊詮議の役を命じられた。鳶沢は改心して配下の者を呼び寄せ、古着屋仲間を作って鳶沢町を形成したという(落穂集)。鳶沢が町屋を開いた状況は「遊女町のかたわらにて地を給り、葭原を開きて居宅となし、かのふる着をあきなうを業とし」とある(落穂集)。のち大いに賑わい、「鳶」を「富」と改めた。古着市は日本橋の魚市、神田多町の菜市と並んで早くから知られ、夜の明ける頃から家の前に筵を敷いて、古着を山のように積んで商いをしたという(都の手ぶり)。1701(元禄14)年末には古着屋仲間組合が結ばれ、1881(明治14)年、岩本町に古着市が移転するまで繁華街として続いた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数151・人口601(府志料)。江戸期の伝統を受け継ぎ、呉服商が多く、現在も繊維問屋街となって続いている。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。
1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、周辺の新大坂町、弥生町、高砂町、元浜町の全部或いは一部を編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。
撮影場所:富沢町
0コメント