【日本橋①067】新和泉町
町番号:日本橋①067
町名:新和泉町
読み方:しんいずみちょう Shin-Izumichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1933(昭和8)年
冠称:なし
現町名:中央区日本橋人形町三丁目
概要:明暦の大火後に開かれた町地で、以前は浅草移転前の遊廓吉原の西南隅であった。町名は元吉原の高砂町、住吉町、難波町とともに謡曲の題を付したものとも、また東方にあった東堀留川に大坂からの廻船が盛んに入津したのに因み、隣接の堺町に倣い、和泉の国名を付けたともいわれる。町の東側の通りは元吉原の大門に続くので「大門通り」と呼ばれ(砂子)、銅屋(からかねや)寅次郎等の金物商が多く住んでいた。町内南側に嘗て幕府御用医師・岡本玄冶の拝領屋敷があったのでその脇の新道が「玄冶店(げんやだな)」と呼ばれた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数100・人口400(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。末広亭はその頃から1970(昭和45)年まで続いた由緒ある寄席であった。
1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、人形町三丁目に編入となり消滅。現行の日本橋人形町三丁目のうち。人形町通りの東側に当たる。
撮影場所:新和泉町
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