【京橋①024】元数寄屋町

町番号:京橋①024

町名:元数寄屋町 一~四丁目

読み方:もとすきやちょう Moto-Sukiyachō

区分:町丁

起立:元禄年間(1688~1704年)

廃止:1930(昭和5)年

冠称:なし

現町名:中央区銀座五丁目1~6番の晴海通り側

概要:一~四丁目があった。慶長年間(1596~1615年)に茶人・織田有楽斎の拝領した屋敷があり、数寄屋を多く造った所(府志料)とも、また御数寄屋方坊主の居宅が多くあった(案内)ともいわれる。数寄屋町に町屋が開かれたのは寛永年間(1624~1645年)頃であるが、元禄年間(1688~1704年)に火除地となり、呉服橋他に移転して「数寄屋町」と称したので、跡地には「元」の字を付した。有楽斎の屋敷はのち明地となり、現在の数寄屋橋公園からソニービル付近(現行の銀座五丁目1~3番)は「有楽原」と称された。堀(現在の首都高速8号)に面した通りは「数寄屋河岸」、「大河岸」と呼ばれた。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数213・人口1,105(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。

1930(昭和5)年、帝都復興計画の一環により、銀座西五丁目、銀座五丁目に編入となり消滅。現行の銀座五丁目1~6番の晴海通り側。

撮影場所:元数寄屋町一丁目

撮影地:中央区銀座五丁目2番1号(数寄屋橋交差点 東急プラザ銀座)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。