【芝①065】芝赤羽町
町番号:芝①065
町名:芝赤羽町
読み方:しばあかばねちょう Shiba-Akabanechō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「芝」
現町名:港区三田一丁目
概要:1872(明治5)年、筑後久留米藩有馬中務大輔の上屋敷の跡地に起立。町名の由来は、赤羽橋からとも赤羽川(古川の異称)に沿っているからとも、川に架かる赤羽橋による(画報)とも。「赤羽」の由来は「赤埴(あかはに)」から(再校江戸砂子温故名跡誌)。赤羽橋は新堀川・赤羽川に架かる。「赤羽根橋」とも書いた。赤羽橋の名称は古く、1846(弘化3)年の『御府内場末往還其外沿革図書』にも見える。1872(明治5)年の戸数13・人口85(府志料)。
「猫三大話」と言われた有馬の猫騒動も、お家騒動の一コマ。「赤羽へ のして久留米の 水天宮」、「赤羽根の 流れに近き 水天宮 うねるようなる 賽銭の波」と歌われた、安産の神として親しまれている日本橋の水天宮は、1871(明治4)年まで、芝赤羽の久留米藩有馬家の上屋敷内にあった。歌川広重が『江戸名所 赤羽祢水天宮』、『江戸名所之内 芝赤羽根 水天宮』、『江戸名所 赤羽根水天宮』を遺す。有馬家の屋敷跡の敷地の大部分は「有馬ガ原」と呼ばれる空き地で、樹木や雑草が生い茂り鬱蒼としていた。明治の世になって海軍造兵廠となり、大正の始めに今の東京都済生会中央病院が建てられた。都立三田高等学校のある辺りは、「有馬ガ池」があって近所の子供達の釣り場に好適地だった。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、三田一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:芝赤羽町
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