【芝①084】三田台町

町番号:芝①084

町名:三田台町 一・二丁目

読み方:みただいまち Mita-Daimachi

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:「三田」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」

現町名:港区高輪一丁目の一部、三田四丁目10、12、16番、8・9、11、13、17・18番の一部

概要:もとは三田村のうち。三田台上の高所にあり、一・二丁目があった。三田台上を縦断する街道(古代奥州路、中世は鎌倉街道)沿いに形成された町屋。町名は高い場所に位置することに因む。1662(寛文2)年、町奉行・代官両支配となった。1828(文政11)年の総家数276軒、うち家持18・家主33・地借18・店借178(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、二丁目飛地が三田君塚町に合併。また同年、三田台町一丁目続赤坂一ツ木町代地を一丁目に合併。1872(明治5)年、さらに一丁目に武家地、浄土宗池宝山大増寺、同宗寂照山実相寺、同宗法呑山正泉寺、浄土真宗由良山荘厳寺、同宗宗月岬山正泉寺等の寺地を合併した。同年の戸数187・人口755。物産は味噌、麹、傘、刷毛(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数278・人口1,099。一丁目の済海寺は1859(安政6)年、フランス使節公使館となった。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。1952(昭和27)年、芝三田台裏町を「芝三田台町三丁目」と改称して合併。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、現行の高輪一丁目、三田四丁目10、12、16番、8・9、11、13、17・18番の一部に編入となり消滅。

撮影場所:三田台町一丁目

撮影地:港区三田四丁目11番31号(荘厳寺)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。