【麻布①017】麻布南日ヶ窪町

町番号:麻布①017

町名:麻布南日ヶ窪町

読み方:あざぶみなみひがくぼちょう Azabu-Minami-Higakubochō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1981(昭和56)年

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」

現町名:港区麻布十番一丁目、六本木五・六丁目

概要:もとは麻布領麻布村のうち。町の南の低地に古川が流れ、六本木の高台から古川に向かう谷の一つ。方角的に日当たりが良かったので、日南窪と呼ばれたそうだが、嘗てこの地から土人形の入った桶が二つ掘り出され、雛人形を作る土地だったということで、「雛窪」と呼んだという異説もある。日当たりの良い南斜面だったため、早くから百姓が住み着いていた。延宝年間(1673~1681年)には既に麻布南日ヶ窪百姓町屋となっていた。「南日下窪」と書くこともあったようだ。1713(正徳3)年、町奉行支配となる。町名は三方が山に囲まれた窪地であったことに由来する(備考)。また「六本木より下る南の谷地、南の日請能故日南窪と云う」(紫の一本)ともいわれる。化政期(1804~1830年)の家数144軒、うち家持12・家守10・地借10・店借131(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数155・人口539(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。同時に麻布宮村町49番地を編入。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1962(昭和37)年10月1日、麻布地区の地番整理により、一部が現行の麻布十番一丁目に編入される。さらに1967(昭和42)年7月1日には住居表示の実施により、一部が六本木五・六丁目の各一部に、そして残余の大部分が1978(昭和53)年9月1日に六本木六丁目の一部に編入となる。僅かな残余はその後も存続していたが、遂に1981(昭和56)年に現行の六本木六丁目17番となり消滅。

撮影場所:麻布南日ヶ窪町

撮影地:港区六本木五丁目11番地先(岩崎小弥太旧居跡付近)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。