【麻布①021】麻布新龍土町
町番号:麻布①021
町名:麻布新龍土町
読み方:あざぶしんりゅうどちょう Azabu-Shin-Ryūdochō
区分:町丁
起立:1873(明治6)年
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区南青山一丁目26番、六本木七丁目1~5、22・23番
概要:もともとは龍土町町在方分と麻布長泉寺門前があったが、大部分は武家地であり、幕末には鍋島備前守、鍋島甲斐守、伊達近江守の上屋敷地であった。1869(明治2)年に町屋部分は麻布龍土町に合併され、1872(明治5)年に武家地も併せたが、1873(明治6)年、旧伊予宇和島藩邸上地、士族受領地、寺社地を合併し起立(御布告簿)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1891(明治24)年には、元原宿村飛地字五反田の一部を編入(青山一丁目に抜ける道路沿い一帯)。二・二六事件を首謀した歩兵第三連隊の駐屯地が明治時代から町域の大部分を占め、北東部には華族等の邸宅が集中していた。日本初のフランス料理店「龍土軒」は明治中期以降多くの文士のサロンとなり(その後の麻布霞町町域に移転)、昭和期に入ってキューバ公使館やローマ法王庁使節館ができた(港区史)。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。戦後は第三連隊跡地が米軍駐屯地となり、その他は住宅街で、次第に西辺に商店が建設された。
住居表示の実施により、1966(昭和41)年10月1日には一部が南青山一丁目26番に、1967(昭和42)年7月1日には残余が六本木七丁目1~5、22・23番の一部に編入となり消滅。
撮影場所:麻布新龍土町
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