【赤坂①018】青山南町
町番号:赤坂①018
町名:青山南町 一~六丁目
読み方:あおやまみなみちょう Aoyama-Minamimachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:「青山」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「赤坂」
現町名:港区南青山一~四丁目、六本木七丁目、西麻布二丁目
概要:1590(天正18)年に青山忠成が徳川家康から屋敷地として賜る。忠成は同心100人(鉄砲百人組)を居住させ、根来組、甲賀組、伊賀組等に対し青山組等といった。このため、青山南町五・六丁目は「青山百人町」と呼ばれた。青山百人町の南は「長者丸」と呼ばれていた。これは昔、源頼朝の父・義朝の家臣だった渋谷長者(黄金の長者)金王丸がいたことによる。百人組屋敷から青山高樹町に通じる道は「親不知」と呼ばれ、樹木が繁っていて昼でも暗く、泣く子も泣き止んだという。
1872(明治5)年、「青山」と呼ばれていた地域のうち、大山街道から南側の部分を青山南町一~七丁目として起立。大部分はそれまでの武家地で、二丁目には青山和泉町のうち、1870(明治3)年まで青山大和町だった部分が、四丁目には寺地だった部分が加わっている。同年の戸数391・人口1,512、物産は傘、桑、生茶がある(府志料)。
青山高樹町は屋敷の内に往来があるほど広かった丹南藩高木氏の邸地の一部だった。また、美濃郡上藩青山家下屋敷跡に1872(明治5)年に開設された青山墓地は1874(明治7)年に最初の公共墓地の1つとなり、1935(昭和10)年に「青山霊園」と改称。
1878(明治11)年11月2日、東京府赤坂区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市赤坂区に所属。その際、七丁目は東京府南豊島郡渋谷村に編入、大字青山南町七丁目となる。1891(明治24)年、五丁目に原宿村飛地を編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都赤坂区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
住居表示の実施により、1966(昭和41)年10月1日に、一丁目が南青山一・二丁目、六本木七丁目に、二丁目が南青山二丁目に、三丁目が南青山二丁目に、四丁目が南青山二丁目(Wikipediaでは南青山三丁目にも)に、五丁目が南青山二~四丁目(Wikipediaでは南青山三・四丁目)に、六丁目の一部が南青山三~六丁目(一部が西麻布二丁目に変更)に、次いで、1967(昭和42)年1月1日には、六丁目の一部が西麻布二丁目(一部が南青山に変更)に編入となり消滅。ほぼ現行の南青山一~五丁目と南青山六丁目1、5番の一部(港区沿革図集)。
なお、当町は「ちょう」と読むが、「青山北町」は「まち」と読む。
※Wikipediaでは1967(昭和42)年の完全消滅は青山南町六丁目ではなく、青山南町一丁目となっている。
撮影場所:青山南町四丁目
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