【麻布①028】麻布笄町

町番号:麻布①028

町名:麻布笄町

読み方:あざぶこうがいちょう Azabu-Kōgaichō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」

現町名:港区南青山六・七丁目、西麻布二~四丁目

概要:延宝年間(1673~1681年)頃には町の南側は武家地(高木氏、山口氏)、北部は長谷寺、笄川の東側は下渋谷村、麻布村、麻布三軒家百姓町屋(後の麻布裏三軒家町)、武家地(遠山氏)となっていた。その後、小規模の武家地等が入り交じり、青山原宿村、桜田町飛地、渋谷御掃除町渋谷長谷寺門前町等ができ、幕末を迎える。

1869(明治2)年、大安寺を含む永平寺別院長谷寺寺地、陸奥湯長谷藩内藤氏上屋敷、三河奥殿藩松平氏屋敷、常陸牛久藩山口氏下屋敷、河内丹南藩下屋敷、その他の武家地を合併して起立。町名は白金落合長者伝説「源経基伝説」のある町内の笄橋による。しかし、1869(明治2)年の『改訂町鑑』によれば、渋谷長谷寺門前町渋谷掃除町麻布裏三軒家町(麻布三軒家町飛地か)、麻布桜田町飛地を合併して改称。そして1872(明治5)年の『港区沿革図集』は『沿革図書』に上記諸町、武家地、寺地の他、青山原宿村をも含めて麻布笄町となっていることを指摘している。どれが正当であるか判然としない。

町内を流れる笄川に架かっていた笄橋の伝説の詳細だが、『江戸砂子』によると、天慶の乱(931年~)の際、龍川に差し掛かった源経基を、前司広雄という者が橋に関所を構えて通行を阻んだ際、経基は差していた刀の笄を証拠に与えて通過したという。後にこの橋を「笄橋」と呼ぶようになった。他にも「こうがい」の語源については、香貝、甲賀伊賀等の諸説がある。

1872(明治5)年の戸数178・人口692、物産に桑、生茶、傘等があった(府志料)。1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1886(明治19)年に南豊島郡下渋谷村字笄開谷の一部を編入。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1891(明治24)年に豊多摩郡原宿村飛地字五反田18~33番地までを編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

住居表示の実施により、1966(昭和41)年10月1日に南青山六丁目の東端、南青山七丁目12~14番(その後、一部を西麻布に変更)に、1967(昭和42)年1月1日には西麻布二丁目4、11~14、18、26番、西麻布三丁目3~5、7~16番、西麻布四丁目(その後、一部を南青山に変更)に編入となり消滅。

※『港区町名旧新対照表』には、1966(昭和41)年10月1日の編入先に「南青山四、七丁目」とある。

撮影場所:麻布笄町

撮影地:港区西麻布二丁目21番34号(長谷寺)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:市ヶ谷田町下二丁目