【芝①058】芝新門前町

町番号:芝①058

町名:芝新門前町

読み方:しばしんもんぜんちょう Shiba-Shimmonzenchō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「芝」

現町名:港区三田一丁目2番、1番12、14・15、17・18号

概要:古川(新堀川)沿いの一ノ橋から中ノ端までの南北両岸に位置する。江戸期から1869(明治2)年までは芝南門前一・二丁目。1698(元禄11)年、増上寺32代貞誉大僧正が芝新堀端に明地1万240坪を拝領、のち町家作となり増上寺南のため「芝南新門前(町)一・二丁目」と称す。1806(文化3)年3月、芝車町の出火で類焼(文化の大火)、全域火除地となり、同年4月、新堀川(古川)の中ノ橋~一ノ橋間に代地を受けた。一丁目は新堀川北岸、現在の東麻布二丁目34・35番の一部と同川対岸、現在の三田一丁目2番の一部の2ヶ所に代地を受け、芝南新門前一丁目代地と称し、二丁目は新堀川南岸、一丁目代地の西続き、現在の三田一丁目1・2番の一部に代地を受け、芝南新門前二丁目代地と称す(備考・町方書上)。1828(文政11)年の家数は一丁目代地が60軒、うち家主6・家守13・店借41、二丁目代地が62軒、うち地主5・家守12・地借2・店借43(町方書上)。

1869(明治2)年、芝南新門前一丁目代地、同二丁目代地、芝築地同朋町代地と讃岐丸亀藩邸等の武家地を合併して芝新門前町が成立(府志料)。古くは河岸の湿地で、1675(延宝3)年、1699(元禄12)年の川渫いの後に川岸に荷揚げ場が造られ、1806(文化3)年から町屋が建設された。穀物、石材、材木商等が多かったと思われるが、古川の舟運が重要性を失うにつれて減少した。1872(明治5)年の戸数135・人口585、物産には腹掛、股引、足袋、傘骨(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。同年、地先の河岸地が「新門前河岸」として独立。なお、1880(明治13)年に古川北側だけが分離して麻布区に編入、東京府麻布区芝北新門前町となり、1911(明治44)年に「芝」の冠を外した。1880(明治13)年の時点(翌年とも)で「北新門前町」と突然「北」の字が冠されたのは芝区側の「新門前町」と区別するためと思われる。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数79・人口336。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、三田一丁目2番、1番12、14・15、17・18号に編入となり消滅。

撮影場所:芝新門前町

撮影地:港区三田一丁目1番15号(三田ソネットビル メルセデス・ベンツ麻布鈴木自動車)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。