【四谷①024】四谷永住町

町番号:四谷①024

町名:四谷永住町

読み方:よつやながずみちょう Yotsuya-Nagazumichō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1943(昭和18)年3月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「四谷」

現町名:新宿区四谷四丁目

概要:延宝年間(1673~1681年)にはじめて武家地となり。1756(宝暦6)年、四谷大木戸御門(四谷四丁目交差点)内の地に田安徳川家下屋敷が設けられた。その際、屋敷神様として田安稲荷神社を祀り、代々の当主の崇敬深く、子孫繁栄、天下泰平を願った。1871(明治4)年5月、屋敷は収公されたが、稲荷社だけはそのまま取り残された。

1872(明治5)年、大和柳生藩柳生氏下屋敷、近隣の武家地と四谷東長寺門前、四谷理性寺門前を合併して起立。同年の戸数29・人口100(府志料。別の資料では7月、戸数は27戸、人口94人(男46人・女48人)、車馬4台)。町名の由来は東隣の四谷愛住町とともに末永く安住の地であるようにとの願いに因む。

1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。同時に内藤新宿添地町の一部を編入。「寺院を除くの外、新開の市街たるを以て、居住者も一定せざれども、龍昌寺横丁より西に入りし所には、木賃宿多く、大木戸近傍には商店街あり」(画報)。1891(明治24)年3月18日、大部分が東京市四谷区に編入された旧千駄ヶ谷村域のうちの一部、豊多摩郡内藤新宿町大字内藤新宿添地町の飛び地の一部を編入。

1943(昭和18)年4月1日、塩町三丁目と合併し、四谷四丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「同(明治24)年四谷区に所属」とあるが間違い。

撮影場所:四谷永住町

撮影地:新宿区四谷四丁目28番地17(四谷四丁目交差点 大木戸ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。