【牛込①001】市ヶ谷田町

町番号:牛込①001

町名:市ヶ谷田町 一~四丁目

読み方:いちがやたまち Ichigaya-Tamachi

区分:町丁

起立:1624(寛永元)年

廃止:存続

冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」

現町名:新宿区市谷田町一~三丁目

概要:古くは豊島郡野方領市谷村に属し、江戸初期に開拓されて「布田新田」と称したが、その由来は不詳。部落の共同耕作地「札田」ではなかろうか(新宿区町名誌)。町名は水田を埋め立ててできた町なのでその名がある。

1620(元和6)年に町屋となったが、1623(元和9)年、市谷濠開鑿のために収公され、1624(寛永元)年の竣工後、佐渡原(現行の市谷砂土原町一~三丁目)の土砂で堀端の田地を埋め立てて町屋を開設し、市ヶ谷田町一~四丁目(二丁目は上・下に2分)とした。1828(文政11)年の家数471軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、一丁目は定火消役屋敷を併合、上二丁目、下二丁目、市ヶ谷教蔵院門前と近隣の武家地が合併して二丁目となり、三丁目は近隣の武家地を併合。同年の戸数437・人口1,680(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1881(明治14)年、四丁目は市ヶ谷本村町に併合(市谷本村町2番の東端)、神楽坂下の四丁目代地は牛込神楽町二丁目に組み込まれた。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。総じて外堀沿いに商家が建ち並び、市谷砂土原町寄りは邸宅地であった。町内に俗称「へっつい横町」、「杉屋横町」、「梅木長屋」、「雷横町」があった。

撮影場所:市ヶ谷田町下二丁目

撮影地:新宿区市谷田町二丁目27番地(藤ビル 上海飲茶猪八戒)

002市ヶ谷本村町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。