【牛込①004】市ヶ谷砂土原町

町番号:牛込①004

町名:市ヶ谷砂土原町 一~三丁目

読み方:いちがやさどはらちょう Ichigaya-Sadoharachō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:存続

冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」

現町名:新宿区市谷砂土原町

概要:町名は江戸時代に「家康の知恵袋」との異名を持った本多佐渡守正信の別邸があったことで「佐渡原」、「佐渡殿原」と呼ばれ、後に本多邸趾の土を採取して市ヶ谷田町(市ヶ谷田町島)を埋め立てに使ったことから、「砂土取り場」と称したことによる(新宿区町名誌)。粋者がいて、「砂土取場」と言ったのと「佐渡原」がこんがらがって「砂土原」となったものだろうという。明治時代以降は「山の手」と呼称される地域の一つである。

1872(明治5)年、佐渡原一帯、市ヶ谷火之番町歌坂富士見横町を併せて一~三丁目に分け、市ヶ谷砂土原町として起立。『復元江戸情報地図』では一丁目に市ヶ谷長延寺谷町、紀伊新宮藩水野家上屋敷を含み、二・三丁目は旗本の屋敷地となっている。同年の戸数25・人口129(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。

撮影場所:市ヶ谷砂土原町三丁目

撮影地:新宿区市谷砂土原町三丁目5番地(偕成社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。