【牛込①018】牛込神楽町
町番号:牛込①018
町名:牛込神楽町 一~三丁目
読み方:うしごめかぐらちょう Ushigome-Kagurachō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1951(昭和26)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」
現町名:新宿区神楽坂一~三丁目
概要:1869(明治2)年、市ヶ谷田町四丁目代地に武家地を合併して起立。町名は町内の神楽坂による。1872(明治5)年、牛込玉咲町、武家地を編入して牛込神楽町一~三丁目となる。同年の戸数192・人口621(府志料)。
町のほぼ中央を神楽坂が貫いている。町名・坂名の「神楽」とは、『江戸名所図会 巻之四』(1836(天保7)年)によれば、坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音が坂まで聞こえたからともいわれる。また、『改撰江戸志』(原本は残っておらず、成立年代は不明だが文政(1818~1830年)以前に既に存在が確認されている)には、津久戸明神が元和(1615~1624年)の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。神楽坂付近は、大正時代に隆盛を誇った花街。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1951(昭和26)年、神楽町一~三丁目がそのまま神楽坂一~三丁目となり消滅。なお同時に上宮比町、肴町、通寺町もそれぞれ神楽坂四~六丁目となった。
撮影場所:牛込神楽町三丁目
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