【牛込①008】市ヶ谷八幡町

町番号:牛込①008

町名:市ヶ谷八幡町

読み方:いちがやはちまんちょう Ichigaya-Hachimanchō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:存続

冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」

現町名:新宿区市谷八幡町

概要:豊島郡野方領市谷村のうち。古くから町屋があった。1663(寛文3)年に町奉行支配となり、「市ヶ谷八幡町」と称した市谷八幡の門前町。同八幡は、太田道灌が江戸城築城の際、鎌倉の鶴ヶ岡八幡を番町の地に勧請して、「亀ヶ岡八幡」として創建したが、番町が武家屋敷とされたとき、当地に移され改称したもの(備考)。1828(文政11)年の家数33軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1871(明治4)年、市ヶ谷田町四丁目の極一部、市谷八幡の社地・曹洞宗龍谷山洞雲寺等を併合。町域の大半は八幡社の境内であった。1872(明治5)年の戸数55・人口242(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。明治中期の状況は「牛込区の西南端、丘陵の尽くる所、地位翼然として、市谷門址を俯瞰し、石段高く聳えて、境内緑陰あり、樹下逍遙す可く、眺矚の景に富む」とある(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。

撮影場所:市ヶ谷八幡町

撮影地:新宿区市谷八幡町14番地(市ヶ谷中央ビル military 将)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。