【牛込①011】市ヶ谷山伏町
町番号:牛込①011
町名:市ヶ谷山伏町
読み方:いちがややまぶしちょう Ichigaya-Yamabushichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:存続
冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」
現町名:新宿区市谷山伏町
概要:古くは豊島郡野方領牛込村に属していたが、江戸初期には山伏修験者が多く住んでいたので、俗に「牛込山伏町」と称した。1723(享保8)年、火災に類焼し、下谷幡随院裏に代地を給されて移転(下谷山伏町)、跡地は武家地となったが、俗称は続いた。
1872(明治5)年、市ヶ谷山伏町、牛込南山伏町、牛込北山伏町に分割された。当町は林大学頭下屋敷、旗本屋敷、御籏組大縄地、常敬寺、近隣の武家地を併合した。同年の戸数24・人口83(府志料)。牛込の地であるのに「市ヶ谷」の冠称を付した理由は不明。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。「市谷甲良町に面するの地は、焼餅坂より北山伏町に通ずる市区改正の道路にして、市廛を成せり。其他は多く邸宅にして寺院あり、常教寺という」(画報)。焼餅坂は牛込甲良町との境を市谷柳町に下る坂道で、「本名赤根坂、此所にやき餅をひさぐ店あり」(続砂子)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1990(平成2)年11月5日、市谷山伏町の大部分と、市谷柳町(道路のみ)、市谷甲良町(道路のみ)との境界を整理して現行の区域となった。冠称は「市ヶ谷(市谷)」とされるが、住民は「牛込」への愛着が強く、古今を通じて「牛込山伏町」の名で地域に親しまれている。主に住宅地として利用され、大久保通り沿いに商店等も見られる。
撮影場所:市ヶ谷山伏町
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