【牛込①023】牛込筑土八幡町

町番号:牛込①023

町名:牛込筑土八幡町

読み方:うしごめつくどはちまんちょう Ushigome-Tsukudo-Hachimanchō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:存続

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」

現町名:新宿区築土八幡町

概要:古くは豊島郡野方領牛込村のうち。町名は筑土八幡神社があることによる。「築土八幡町」とも書いた。江戸期には筑土八幡社の門前町である牛込無量寺門前の北部には俗称「筑土下八軒町」があった。筑土山の北麓にあたり、町屋が8軒あったのに因む。

1869(明治2)年、牛込津久戸門前、牛込無量寺門前、牛込万昌院門前、牛込成願院門前を併せて、牛込筑土八幡町が成立。町名の由来となった筑土八幡社は平将門が祭神で、古くは平河近くの津久戸村にあったが、天正年間(ユリウス暦1573年~グレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)に田安の黐の木坂に移転。さらに牛込に移転した。その際、社名を「筑土」と改めた(筑土神社由来書)。同社の門前町屋は別当寺の名を採って「牛込無量寺門前」と称し、津久戸西門前町津久戸中町津久戸東門前町の3ヶ所あった。

1872(明治5)年の戸数129・人口383(府志料)。1871(明治6)年、周辺の武家地と万昌院、成願寺、無量寺、筑土八幡社、津久戸明神社、成就院を併合。俗に町域の東北部を「津久戸東門前」、西南部を「津久戸西門前」、南側を「筑土前」、筑土八幡のある高台を「筑土台」、北部を「筑土下」、筑土八幡から西に続く高台を「御殿山」、現在の大久保通りから筑土八幡の西側に上る坂を「ごみ坂(芥坂、埃坂)」といった。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。

1988(昭和63)年2月15日、住居表示の実施により、筑土八幡町の大部分に津久戸町(道路のみ)、白銀町(道路のみ)の各一部を併せた町域を現行の「筑土八幡町」とした。

撮影場所:牛込築土八幡町

撮影地:新宿区筑土八幡町2番1号(筑土八幡神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。