【牛込①063】牛込改代町
町番号:牛込①063
町名:牛込改代町
読み方:うしごめかいたいちょう Ushigome-Kaitaichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」
現町名:新宿区改代町、水道町
概要:古くは豊島郡野方領牛込村の沼地で、江戸築城で今の雉子橋付近に住んでいた住民が牛込御徒町に代地を与えられたが、1654(承応3)年に改めて沼地(現在地)を給され、そこに移るように命じられた。しかし埋め立てる資力がなく、村人の妻子がごみを捨てて埋まるのを気長に待って順々に町屋にしていった。ということではじめは「牛込築地替代町(うしごめつきじたいだいちょう)」と称していた。替代とは「2度目の代地」の意。後に「牛込改代町」と改称(備考)。徳川家康の関東入国後、旧地を追われて俗にいう「牛込御徒町」に居を構えた雉子橋の民家に改めて代地を給し「牛込改代町」とした説がある(画報)。
1713(正徳3)年、町奉行・代官両支配となる。「元禄郷帳」の村高は20石余で、以後幕末まで変化はない。「町内里俗中通往還を古着店と相唱え申し候右は両側に古着商売致し候者住宅致し候に付里俗相唱え候由」(備考)。1828(文政11)年の家数208軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、西隣の牛込四軒寺町(田中寺、傳久寺、長寿寺、妙福寺)を併合。同年の戸数225・人口830(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。「町内、古着商多し左右、軒を列ぬ」(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1989(平成元)年11月6日、住居表示の実施により、一部(道路のみ)を水道町に譲る。
※『角川日本地名大辞典』では読みを「かいたいまち」としている。
撮影場所:牛込改代町
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