【小石川①012】小石川江戸川町

町番号:小石川①012

町名:小石川江戸川町

読み方:こいしかわえどがわちょう Koishikawa-Edogawachō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年8月

廃止:1964(昭和39)年7月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」

現町名:文京区後楽二丁目、水道一丁目

概要:1872(明治5)年8月、江戸川沿いの武家地に「江戸川端大曲り新道(大曲り新道)」を合併し起立(『東京府誌』)。町名は町の南西側が江戸川(神田川)に面していることによる。同年の戸数35・人口170(府志料)。江戸川が大きく屈曲している通称「大曲」沿いの地域。

なお、一般には、江戸期において全域が武家地であり、町屋のなかったこの界隈を「江戸川端」と俗称し、その域内を走る「大曲り新道」という道があり、それらを併せて起立した、と言われている。つまり、『角川日本地名大辞典』のように「江戸川端大曲り新道」と繋げて呼んだものではなかったという方が優勢である。

1873(明治6)年、白鳥川の近く、旧江戸川町17番地(現・水道一丁目2番の辺り)に和風の西洋造りの中村敬宇(正直)による同人社が設立。同人社は三大家塾の1つに数えられ、後に訓盲院を設立した中村敬宇は「江戸川の聖者」と言われた。

『小石川区土地概評価.大正11年3月調』には、「白鳥橋畔の大曲停留所附近は此の附近第一の商業地。其れより北は全部江戸川岸の住宅地。南は多少商、工業家等交へ、東南部の諏訪神社前通及び隆慶橋通に小売商店の軒を並べたる處あり」とある。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1964(昭和39)年8月1日、住居表示の実施により、後楽二丁目、水道一丁目に編入となり消滅。

なお、目白台下の旧関口の大洗堰(現・大滝橋辺り)から船河原橋までを「江戸川」といっていたが、1965(昭和40)年に新河川法が施行されて「神田川」と呼ぶようになった。

撮影場所:小石川江戸川町

撮影地:文京区後楽二丁目6番1号(神田川 隆慶橋東詰)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。