【小石川①020】小石川下富坂町
町番号:小石川①020
町名:小石川下富坂町
読み方:こいしかわしもとみさかちょう Koishikawa-Shimo-Tomisakachō
区分:町丁
起立:1693(元禄6)年5月
廃止:1940(昭和15)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区小石川一・二丁目
概要:古くは豊島郡小石川村のうち。加藤伊織組餌差衆59人の拝領地に起立した町で、「小石川下餌差町」と称していた。元和年間(1615~1624年)、東側は鉄砲御磨同心の大縄組屋敷となる。1693(元禄6)年5月、町奉行支配となり「小石川下富坂町」と改称。北側の源覚寺付近には飛地があった(備考)。町内には「御用屋敷」、「川端」の俗称があり、名主鎌田源三郎の先祖は家康に仕えた餌差衆の1人であった(備考)。また当町には1725(享保10)年の町触によって営業を許可された岡鳥問屋8軒のうち、利右衛門、三郎兵衛等5軒が集中していた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年8月、華族小笠原氏邸跡及び丸太橋通東側の土地を合併。同年の戸数179・人口597(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1894(明治27)年、加納治五郎の講道館が本郷真砂町から移転。また1893(明治26)年9月から3年の間、小説家川上眉山が住んでいた。当時の様子は馬場孤蝶の『六角坂の家』に描かれている。
1940(昭和15)年、富坂一丁目、春日町三丁目に編入となり消滅。
撮影場所:小石川下富坂町
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