【小石川①029】小石川氷川下町

町番号:小石川①029

町名:小石川氷川下町

読み方:こいしかわひかわしたまち Koishikawa-Hikawashitamachi

区分:町丁

起立:1891(明治24)年

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」

現町名:文京区千石二・三丁目、大塚三・四丁目

概要:江戸期の小石川村伝通院領を1875(明治8)年に小石川村本村と合併。即ち、小石川村字住吉(一部を除く)氷川下の地。現在の千川通りがほぼ嘗ての千川の流路で、これを中心とした窪地は古くから「氷川田圃」と呼ばれた低湿地だった。1878(明治11)年11月2日の小石川区発足当時はまだ北豊島郡小石川村のうち。1884(明治17)年の地図では今の共同印刷の辺りまで川沿いだけが小石川村となっている一方で、巣鴨の街道沿いが小石川区に含まれている。

1889(明治22)年5月1日、市町村制が施行された際に、川沿いは小石川村から東京市小石川区に編入され、この編入区域が1891(明治24)年に白山御殿町と小石川氷川下町となった。字御殿下、字極楽水、字氷川下、字吹上を合併し、小石川氷川下町が起立。東京市小石川区所属。町名は町域北側の高台に位置する氷川神社から採った(大正期に「簸川神社」と改称。しかし、神社自体は小石川林町にある。都電護国寺線に氷川下町電停があった)。一方、巣鴨は北豊島郡巣鴨町に編入。

明治末年頃まで「氷川田圃」では、田植え、泥鰌獲り等が行われ、千川には祇園橋が架けらえていた。千川の埋立跡には陸軍御用の製帽工場が建てられ、以後、太田胃酸工場、東京薬品粉末合資をはじめとする中小工場が建ち並んだ。大正の頃、堀内製紙場は、小石川久堅町の宗慶寺境内の極楽水を利用して、「キレー紙」を製造・販売したという。昭和初期、湿地帯には小住宅が建ち並び、台地上は大邸宅の土地開放や分譲によってハイカラな文化住宅が次々と誕生したという。

1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

住居表示の実施により、1966(昭和41)年4月1日に大塚三・四丁目に、残余は1967(昭和42)年1月1日に千石二・三丁目に編入となり消滅。

撮影場所:小石川氷川下町

撮影地:文京区千石二丁目1番5号(珈琲焙煎所氷川下十番地)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿