【小石川①038】小石川宮下町
町番号:小石川①038
町名:小石川宮下町
読み方:こいしかわみやしたちょう Koishikawa-Miyashitachō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区千石三・四丁目
概要:古くは小石川村伝通院領で百姓地。氷川神社付近の町屋であったが、白山御殿建設の際上地となり、巣鴨村のうちに移転。1745(延享2)年、町奉行支配となる。町名は氷川明神下にあることによる(備考)。付近には幕末に至っても武家地の他に百姓地が残っていた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、小石川五福町及び付近の武家地を合併。同年の戸数40・人口172(府志料)。明治初期には茶畑があり、余業としての製茶は小石川区内でも多い部類に属していた。町内に子育稲荷神社があった。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1880(明治13)年に本郷駒込片町分を合併。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1891(明治24)年3月に小石川村の飛地字六蔵、雑司ヶ谷村飛地、巣鴨村字下新田の飛地を合併。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、千石三・四丁目に編入となり消滅。
※『文京区史』では「延享二年(一七四五)五福町を廃し、近隣の土地とともに宮下町に併せ」とあるが、小石川五福町は小石川五軒町の後身ではないかと思われる。
撮影場所:小石川宮下町
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