【小石川①060】関口水道町
町番号:小石川①060
町名:関口水道町
読み方:せきぐちすいどうちょう Sekiguchi-Suidōchō
区分:町丁
起立:1685(貞享2)年
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:「関口」
現町名:文京区関口一・二丁目
概要:神田川の南側に位置していた。もとは豊島郡関口村の畑地。家康の関東入国後は細田加右衛門・佐々与右衛門・縫山市左衛門という3人の鷹匠の知行所となる(備考)。その後、1636(寛永13)年2月、堰を造るために御用地となったと思われる(文京区史Ⅱ)。1685(貞享2)年に町屋が許され、町奉行・代官両支配となる(備考)。当町は小日向水道町とともに、神田川上流にある大洗堰の水門の差蓋揚卸(さしふたあげおろし)の役を務めていた。のち関口村に水番人が置かれるようになった。万治年間(1658~1660年)以前は「古川」と称していた江戸川(神田川)の上流から「一休橋」の俗称のある関口橋、江戸川橋が架かり、水車を回す家もあった。江戸末期以来、兵器の製造、修理を業務とした幕営の大砲製造所があった。1869(明治2)年、政府経営とし、「東京関口製造所」と改称。1870(明治3)年、「造兵司」と改称後、竹橋内吹上上覧所に移転した。後の東京砲兵工廠の前身である。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年7月、新長谷寺門前(関口新長谷町)、大泉寺門前(関口大泉町、関口大泉寺門前町)、付近の武家地を合併。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、関口一・二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:関口水道町
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