【本郷①004】本郷本富士町

町番号:本郷①004

町名:本郷本富士町

読み方:ほんごうもとふじちょう Hongō-Motofujichō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1965(昭和40)年3月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本郷」

現町名:文京区本郷七丁目

概要:江戸期は加賀金沢藩、大聖寺藩、越中富山藩の前田家の上屋敷。1872(明治5)年、起立。町名は浅間神社の旧跡で、駒込富士があったことに因む。同年の戸数1・人口3(府志料)。

浅間神社は駒込に移設されたが、それが現在の駒込富士神社である。警視庁上富士前交番から道一本奥に入った所にある。町名は本富士警察署の名に残っている。当町は東京大学の所在地として有名だが、敷地は元和(1615~1624年)の頃に加賀藩主前田利常に賜った。その後、加賀屋敷の東部は、富山・大聖寺両支藩の屋敷になった。

東京大学医学部の前身・大学東校(医学校)は、はじめ下谷御徒町にあった。ちなみに、湯島にあった大学本校(昌平坂学問所の流れを継ぎ、国学と儒学を教えていた)から東に位置していることで「東校」と呼ばれた。後に病院の所在地であった神田和泉町に移転。さらにより広い校地を求めて、1870(明治3)年、上野(現在の上野恩賜公園)に土地を取得、そこに東京大学ができる予定だった。しかし、大学東校教師であったオランダ人 ボードウィンが、上野の自然が失われることを危惧して一帯を公園として指定することを提言。1871(明治4)年、3邸とも文部省用地となり、代替地として本郷本富士町の旧加賀藩邸が大学建設用の敷地として提供された。1873(明治6)年より移転のための基礎工事を開始したが、同地の文部省移管が取り消されたため頓挫、この代替地として本郷本富士町の加賀藩上屋敷跡が提供され、1876(明治9)年東京医学校は現在の東京大学龍岡門付近に移転、これが現・東京大学本郷キャンパスの端緒となった。

なお、赤門は東京大学本郷キャンパスの校門の1つであり、正門ではない。1827(文政10)年、11代将軍家斉の息女溶姫が前田家に入嫁の時に建てられた御守殿門である。建設に際しては数百戸の町屋が取り壊されたという。川柳にも「御守殿ができて町屋はかたすかし」とある。御守殿門は一般に焼失しても再建を許されない慣習があり、貴重な現存物となっている。1931(昭和6)年に国の重要文化財に登録された。

同門の南側に俗に「盲長屋」と呼ぶ藩士の居宅があった。俗説では、盥の駕籠で登城する大久保彦左衛門を、長屋の窓から藩士が嘲笑した事件で、通りに面した窓が塗り潰され、のちに「盲長屋」と呼ばれたという。別に旗本近藤登之助と藩士の確執のためという説もある(画報)。

河竹黙阿弥の戯曲に「盲長屋梅加賀鳶」がある。なお、夏目漱石の『三四郎』や寺田寅彦の『池』の舞台となったもの。前田家の「育徳園」は前田綱利により整備されたもの。明治維新後、一部が文部省用地となる。1876(明治9)年、東京医学校の移転を契機に東京開成学校と東京医学校を合併成立した東京大学の法学部・文学部等が移転。1897(明治30)年に東京帝国大学(現在の東京大学)となった。当町には他に日本料理店能登屋の他、本郷郵便電信支局、本郷小学校等があった。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1965(昭和40)年4月1日、住居表示の実施により、現行の本郷七丁目に編入となり消滅。

撮影場所:本郷本富士町

撮影地:文京区本郷七丁目3番(東京大学銀杏並木)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。