【本郷①014】本郷龍岡町

町番号:本郷①014

町名:本郷龍岡町

読み方:ほんごうたつおかちょう Hongō-Tatsuokachō

区分:町丁

起立:1878(明治11)年11月2日

廃止:1965(昭和40)年3月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本郷」

現町名:文京区湯島四丁目、本郷七丁目

概要:1590(天正18)年以来、越後高田藩榊原氏中屋敷と武家屋敷であった。1590(天正18)年、徳川家康の四天王の1人榊原康政は武家屋敷配置役であったが、自ら奥州街道の備えとして不忍池を望む高台(現・最高裁研修所を中心)に屋敷を構えた。区内における大名屋敷第1号。町域内の臨済宗天沢山麟祥院は家光の乳母春日局の法名に由来し、江戸期には朱印300石を領し、周囲を枳殻の木で巡らしたことから、「からたち寺」と呼ばれた。

1874(明治7)年、下谷茅町一丁目の一部から「下谷龍岡町」として起立。町名の由来は、向が岡の台地に立てた町という意味から、「立つ」を縁起の良い「龍」の字に替えて「龍岡町」と名付けたといわれる。森鴎外の名作『雁』で有名な無縁坂がある。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属することになり、「本郷龍岡町」に改称。1887(明治20)年、井上円了により哲学館(現・東洋大学)が麒祥院境内に創立。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1897(明治30)年、磯江潤により京華中学校が麒祥院境内に創立。東京帝国大学以外でも学問教育の場が拡がっていった。哲学館も京華中学校も後に他町に移転するが、京華中学校が東片町に移転した跡には西沢之助により日本女学校が開かれた。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1965(昭和40)年4月1日、住居表示の実施により、現行の湯島四丁目、本郷七丁目に編入となり消滅。町名は僅かに東京大学南門の名称「竜岡門」、民間の「竜岡ビル」に名を留める。

撮影場所:本郷龍岡町

撮影地:文京区湯島四丁目2番3号(竜岡ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。