【本郷①021】湯島切通坂町

町番号:本郷①021

町名:湯島切通坂町

読み方:ゆしまきりどおしさかまち Yushima-Kiridōshisakamachi

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1964(昭和39)年12月31日

冠称:「湯島」

現町名:文京区湯島二~四丁目

概要:1616(元和2)年、幕府中間方が屋敷地を拝領したが、のち町屋が立ち、町奉行支配となり、前身の湯島切通片町起立。町名は湯島切通坂上にある武家屋敷の片町であったことによる。化政期(1804~1830年)の家数106軒(町方書上)。南側の本郷新町屋を俚俗に「大根畑」といっていたのに対し、当町北側にも1775(安永4)年から1783(天明3)年まで岡場所があり、「新大根畑」の俚俗名があった。南側の湯島棟梁屋敷はもとは豊島郡峡田領湯島郷のうち。徳川家康江戸入りのとき、遠州浜松からお供をしてきた作事棟梁10人の子孫が1727(享保12)年に拝領した地。棟梁たちは江戸城の工事に従った。同年から町屋が建てられ、町奉行支配となる。1790(寛政2)年には棟梁10人は普請方下奉行の支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数75軒(町方書上)。

前身の湯島切通片町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、湯島棟梁屋敷と湯島切通片町を併合して、「湯島切通坂町」と改称。町名は切通坂上にあることによる。1872(明治5)年、付近の武家・寺社地を併合。同年の戸数135・人口614(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。町内に牛・鳥の肉店江知勝、鳥料理店の鳥又、医書商店金原等があった。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1965(昭和40)年1月1日、住居表示の実施により、現行の湯島二~四丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「昭和40年から現行の湯島2・4丁目となる」とあるが、道路部分のみだが三丁目もである。

撮影場所:湯島切通坂町

撮影地:文京区湯島四丁目5番(平野屋)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。