【本郷①022】湯島切通町
町番号:本郷①022
町名:湯島切通町
読み方:ゆしまきりどおしちょう Yushima-Kiridōshichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1964(昭和39)年12月31日
冠称:「湯島」
現町名:文京区湯島四丁目
概要:もとは豊島郡峡田領湯島郷のうち。奥州海(街)道の脇道で僅かな町屋があった。その後、旗本辰巳弥兵衛、同朋半田丹阿弥等の拝領町屋敷が置かれたが、元禄年中(1688~1704年)から沽券地となった。町名は切通坂があったことによる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数86軒(町方書上)。嘗て、宗源寺、大宗寺、万福寺、幡随院があった(備考)。また町内には淡雪豆腐の山田や、墨筆硯問屋近江屋伊助等があった(続砂子・買物独案内)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、新義真言宗金剛宝山根生院、付近の武家地を合併。同年の戸数77・人口325(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。明治初期、付近に東京帝国大学が移転してからは、学生街の延長として賑わった。当町の9割は三菱財閥の創設者・岩崎弥太郎の別邸が占め、邸内からは縄文時代後期~晩期の土器類が多数発見された。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1965(昭和40)年1月1日、住居表示の実施により、現行の湯島四丁目に編入となり消滅。
※『角川日本地名大辞典』には「同(昭和40)年現行の湯島3丁目となる」とあるが間違い。
撮影場所:湯島切通町
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