【本郷①031】駒込蓬莱町
町番号:本郷①031
町名:駒込蓬莱町
読み方:こまごめほうらいちょう Komagome-Hōraichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1965(昭和40)年3月31日
冠称:「駒込」
現町名:文京区向丘二丁目
概要:前身は駒込四軒寺町。町内向かい側に浄土宗桂芳山瑞泰寺、同千年山栄松院、同天昌山光源寺、同東海山清林寺の4ヶ寺があったことによる。本郷通りの長元寺・浄心寺の両側を江戸時代、ウナギナワテ(真っ直ぐ細長い道)といわれた。1745(延享2)年、町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数24軒(町方書上)。
前身の駒込四軒寺町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、駒込浅嘉町の一部と駒込光林寺門前、日蓮宗覚性山浩妙寺、臨済宗万年山勝林寺、浄土主湯島山浄心寺等の寺地を併せ、「駒込蓬莱町」と改称。町名は将来の繁栄を願う意で付けられた。同年の戸数77・人口251(府志料)。
町内には14の寺院があり、町域の大半を寺社地・墓地が占めていた。徳川将軍家に献上した「お茶の水」で有名な曹洞宗金峰山高林寺は明暦の大火後、当地に移転。境内の緒方洪庵の墓は1925(大正14)年、東京市史跡に指定された。戦災で焼失したが大観音(おおかんのん)で有名な光源寺もある。
1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1890(明治23)年、棚橋一郎により、郁文館が創立。一時期、哲学館(現・東洋大学)と同一の校舎を使用していたが、1896(明治29)年の焼失後は小石川原町に移転。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1965(昭和40)年4月1日、住居表示の実施により、向丘二丁目に編入となり消滅。文京区立蓬莱町公衆便所にその名が残る。
撮影場所:駒込蓬莱町
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