【小石川①034】小石川原町

町番号:小石川①034

町名:小石川原町

読み方:こいしかわはらまち Koishikawa-Haramachi

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」

現町名:文京区白山三~五丁目、千石一丁目

概要:古くは豊島郡小石川村のうち。1623(元和9)年、伝通院領となる。1648(慶安元)年に百姓町屋の起立を許可され、1745(延享2)年には町奉行支配となる。町名は一円の野原に町屋を起立したことによる。付近に小石川大原町があったので、当町を俚俗に「小原町」といった。伝通院領となる以前の慶長年間(1596~1615年)に豊後臼杵の切支丹高橋氏が名主家に身を寄せ、改宗して浄雲寺を造立した。西に隣接する一行院は江戸初期創建の寺院で、後期は徳本行者の説教所となった。徳本行者は紀州侯をはじめ、大名・旗本・町方まで幅広い帰依を受け、生き仏のように敬われた。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年7月、小石川龍泉寺門前と播磨姫路藩酒井氏、三河刈谷藩土井氏等の下屋敷と寺地を合併。当時の戸数148・人口678(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1891(明治24)年3月、小石川村飛地字原の一部を合併。1898(明治31)年、井上円了創立の哲学館が駒込蓬莱町から移転(1906(明治39)年、「東洋大学」と改称)。また井上円了は1899(明治32)年、京北中学校(現在の東洋大学京北中学高等学校)を当町内に創立。町内には蜀山人の墓がある日蓮宗信弘山本念寺、浄土宗深広山浄土寺、浄土真宗大谷派性薗山寂円寺、天台宗梅栄山龍泉寺等があった。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、白山三~五丁目、千石一丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「同(昭和)41年現行の白山3~5丁目となる」とあるが、千石一丁目もである。

撮影場所:小石川原町

撮影地:文京区白山四丁目37番30号(寂圓寺)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。