【下谷①002】下谷竹町

町番号:下谷①002

町名:下谷竹町

読み方:したやたけちょう Shitaya-Takechō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1963(昭和38)年12月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」

現町名:台東区台東二~四丁目

概要:1872(明治5)年、出羽秋田(久保田)藩佐竹家20万8,000石上屋敷、伊勢津藩藤堂家32万3,000石中屋敷、伊予大洲藩加藤家6万石中屋敷、出羽矢島藩生駒家1万5,000石上屋敷他、近隣の武家地が合併して起立。同年の戸数124・人口436(府志料)。

江戸時代からこの地は俗に「竹門」と呼ばれていた。その由来は、久保田藩主佐竹家の西門の扉に竹を用いていたためであるとも、その昔、佐竹家の西側に大番組の与力・同心の屋敷があり、その惣門を「竹門」と称していたためであるともいわれる。そのため、その近傍までもが「竹門」と呼ばれ、その所以で町名を「竹町」としたものである。

明治維新後、東京市所管の佐竹屋敷一帯は下谷公園の建設が予定されていたが、未着工のまま放置され、俗に「佐竹ッ原」と呼ばれる草ぼうぼうの状態であったが、1884(明治17)年頃から次第に見世物小屋や寄席、料理屋が建ち並び、「屋台店左顧右眄、望むがままに馬食せらるる」(案内)という東京の一大歓楽街を成すようになった。また、この地は三味線堀の西接の地であるため、明治から昭和初期にかけて、俗に「三味線堀」と呼ばれていた。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1964(昭和39)年1月1日、住居表示の実施により、台東二~四丁目に編入となり消滅。町名は台東区立竹町公園、台東区立竹町幼稚園に残る。

撮影場所:下谷竹町

撮影地:台東区台東四丁目5番12号(コトハホテル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。