【下谷①010】下谷西町

町番号:下谷①010

町名:下谷西町

読み方:したやにしまち Shitaya-Nishimachi

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:1964(昭和39)年9月30日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」

現町名:台東区東上野一~三丁目

概要:この地は「姫が池」と呼ばれる池沼の中心部にあたり、度々出水に見舞われた。1590(天正18)年、徳川家康が江戸に入府してから鳥越村民によって埋め立てが進み水田となり、寛永(1624~1643)の頃には立花邸及び下級武士屋敷地になっていた。元禄年間(1688~1703年)になると、下谷辻番屋敷(町)及び大番組屋敷が立花邸の北側に造られ、その後は大きな変化もなく明治を迎えた。

本町は1869(明治2)年、それまで俗に「西町」と呼ばれていた下谷辻番屋敷地(下谷辻番屋敷町)を「下谷西町」と改称して正式に起立。「西町」の由来ははっきりしないが、西に開けた町なので、或いは稲荷町の西にあるからという説もある。1872(明治5)年には、筑後柳河藩立花家11万9,000石上屋敷及び大番組屋敷、近隣の武家地を併せて町域を拡大。同年の戸数65・人口343(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、東上野一~三丁目に編入となり消滅。

撮影場所:下谷西町

撮影地:台東区東上野一丁目23番(西町太郎稲荷神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。