【下谷①039】上野桜木町

町番号:下谷①039

町名:上野桜木町

読み方:うえのさくらぎちょう Ueno-Sakuragichō

区分:町丁

起立:1874(明治7)~1878(明治11)年頃

廃止:存続 「上野桜木」として

冠称:「上野」

現町名:台東区上野桜木一・二丁目、上野公園、根岸一丁目

概要:この地は江戸時代、東叡山寛永寺の寺域であった。町の起立年代は明治初年であるにもかかわらず不明。明治維新後、上野公園の開設と寛永寺寺域の整理から町域を定め、上野花園町に属していた。町名の由来は隣接の上野公園とともに桜の木が公園をはじめとして、この地に多くあったのに因む。当町には寛永寺の本堂、寛永寺霊園がある。寛永寺は三代将軍・家光が建立し、現在の上野公園内に建てられたが、上野戦争で伽藍の殆どが焼失。霊園には家綱等、6人の将軍の墓所がある。国の指定重要文化財の勅額門や水盤舎等も残っている。本堂周辺には史跡が多い。

1874(明治7)年頃から1878(明治11)年頃までの間に上野花園町から独立して、上野桜木町として起立したと考えられている(下谷・浅草町名由来考)。町域は、江戸期の谷中村飛地(上野台の東北麓。現在の根岸一丁目1番西側及び1・3番の大部分)と徳川氏廟所火除地(上野台上。上野公園の北側)の2つからなっていた。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

住居表示の実施により、1965(昭和40)年8月1日に谷中村飛地であった所は根岸一丁目1~3番に、火除地であった所は1967(昭和42)年1月1日には上野桜木一・二丁目、上野公園にそれぞれ編入となった。

撮影場所:上野桜木町

撮影地:台東区上野桜木二丁目10番6号(台東区立下町風俗資料館付設展示場 旧吉田屋酒店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。