【下谷①049】谷中三崎町

町番号:下谷①049

町名:谷中三崎町

読み方:やなかさんさきちょう Yanaka-Sansakichō

区分:町丁

起立:元禄年間(1688~1704年)或いはそれ以前

廃止:1871(明治4)年

復活:1873(明治6)年

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:「谷中」

現町名:台東区谷中二~五丁目

概要:起立年代ははっきりしないが、「元禄年中中堂御建立有之候に付中堂領に相成、御年貢地にて御目代田村権右衛門支配所に御座候」(備考)とあるので、元禄年間(1688~1704年)或いはそれ以前であろう。1745(延享2)年、町奉行支配となる。町名の由来は3説あり、第1説は駒込・田畑・谷中の3つの高台に因む(備考・府志料)、第2説は忍の岡(上野)・向の岡(本郷台)・入砂の岡(谷中)があり、往古東京湾の入江で3つの岡が連なっていたのによる(望海毎談)、第3説は「往古は不忍池に連なる大流水の岬なるより名付けしならん」(画報)等がある。また、別称には「首振坂」がある(江戸地名俚俗字引)。野中の清水があって、その水で作った心太が名物だった。1828(文政11)年の家数61軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。明治初年近隣の6ヶ寺地を併合。1871(明治4)年には南北に2分される。1872(明治5)年の戸数78・人口304(府志料)。1871(明治4)年に分断された町は、1873(明治6)年に旧に復し、隣接する寺領を合併して町域を拡げた。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1891(明治24)年には谷中初音町三丁目、東京府北豊島郡谷中村の各一部を併合。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、現行の谷中三~五丁目に編入となり消滅。

撮影場所:谷中三崎町

撮影地:台東区谷中二丁目18番9号(菊寿堂いせ辰谷中本店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。