【下谷①053】谷中天王寺町

町番号:下谷①053

町名:谷中天王寺町

読み方:やなかてんのうじちょう Yanaka-Tennōjichō

区分:町丁

起立:1891(明治24)年

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:「谷中」

現町名:台東区谷中七丁目、上野桜木二丁目

概要:当町は江戸時代、その大部分が天王寺の寺域であった。天王寺ははじめ「日蓮宗長耀山感応寺」と号し、応永年間(1394~1427年)頃の創建といわれる。元禄年間(1688~1704年)に住職が罪を犯し、1699(元禄12)年に幕府の命令で天台宗に改められた。次いで、1843(天保14)年には寺号も「護国山天王寺」に改称した。富籤の勧進元として有名であった。1874(明治7)年、天王寺境内は東京市が管理する共同墓地の谷中霊園となった。

1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に編入。谷中霊園、谷中村字天王寺前、字銀杏横町、字芋坂を合併し起立、東京府東京市下谷区に所属。当町の起立はその2年後の1891(明治24)年となる。谷中地区で最後まで谷中村に属した地域で、大半が天王寺境内で、町域の8割は谷中墓地が占める。天王寺境内には1644(寛永21)年に建立された五重塔があった。この塔は幸田露伴の名作『五重塔』のモデルになったが、1957(昭和32)年に焼失した。焼け跡の礎石は都史跡に指定されている。

1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、谷中七丁目、上野桜木二丁目の一部に編入された。

撮影場所:谷中天王寺町

撮影地:台東区谷中七丁目7番(東京都立谷中霊園)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。