【浅草①034】浅草黒船町
町番号:浅草①034
町名:浅草黒船町
読み方:あさくさくろふねちょう Asakusa-Kurofunechō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1934(昭和9)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」
現町名:台東区駒形一・二丁目、寿三丁目、蔵前二・三丁目
概要:成立年代は不明であるが、寛文江戸図に既に「くろ舟丁」の記入があるので、江戸初期には成立していたと考えられる。往古は豊島郡峡田領石浜庄新町村のうちで、町名の由来には4説ある。
第1はオランダの黒船が着岸した(備考)、第2は難破した黒船の器具を保管した(改撰江戸志)、第3は徳川家康の建造した唐船を繋留した(慶長見聞集)、第4は黒船の船長が御目見得を許されて上京した際の宿舎があった(砂子)とする説である。
1732(享保17)年3月28日の浅草本蔵寺門前からの出火で類焼して御用地となり、堀田ヶ原と深川黒江町に代地を給されたが、1747(延享4)年3月26日、旧地に戻った。浅草橋を渡って奥州街道を北上し、蔵前の北方左右にあって、さらに北方の浅草諏訪町の西隣に代地があった。村田のキセル屋の本店があった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1871(明治4)年、西隣の浅草高麗町、浅草榧木町と的場を合併。1872(明治5)年の戸数128・人口709(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。
1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、寿町一丁目、駒形町一丁目、蔵前三丁目に編入となり消滅。現在の春日通りを挟んで駒形一・二丁目、寿三丁目、蔵前二・三丁目に跨る地域。
撮影場所:浅草黒船町
0コメント