【浅草①038】浅草三間町
町番号:浅草①038
町名:浅草三間町
読み方:あさくささんげんちょう Asakusa-Sangenchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1934(昭和9)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」
現町名:台東区雷門一・二丁目、寿四丁目、駒形一丁目
概要:成立年代は不詳であるが、寛文江戸図に既に見られるから江戸初期の成立であろう。町名の由来ははっきりしないが、「或は三軒町にて、往古は三戸に過ぎざりしよりの名なるにや」(新撰東京名所)という考察もある。浅草駒形町の西側に浅草福川町と浅草八軒町を挟んで8ヶ所に分散しているが、当町を南北に2分している浅草福川町と浅草八軒町は嘗て広場であった。浅草寺年貢地と町奉行支配地に分かれ、町内に天台修験道場理性院があって行場があり、講中が毎年羽黒へ出立した(備考)。浅草田原町一丁目との境界を「竈横丁」、「御行長屋」と通称していた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数551・人口2,204(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。
1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、雷門一丁目、寿町三丁目、駒形二丁目に編入となり消滅。現行の雷門一・二丁目、寿四丁目、駒形一丁目。
撮影場所:浅草三間町
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