【浅草①084】浅草公園地
町番号:浅草①084
町名:浅草公園地 一~七区
読み方:あさくさこうえんち Asakusa-Kōenchi
区分:町丁
起立:1873(明治6)年3月
廃止:1965(昭和40)年7月31日
冠称:なし
現町名:台東区浅草一・二丁目
概要:「浅草公園地」の称は1873(明治6)年、公園設立に関する太政官布告がなされ、東京府が浅草寺、寛永寺、増上寺、富岡八幡、飛鳥山の5ヶ所を公園に指定したことによる。1873(明治6)年3月、浅草寺境内は公園地として新たに発足した。
1876(明治9)年に浅草寺本坊の伝法院とその接続地と旧浅草寺火除地を併合。浅草新畑町、浅草象潟町、浅草馬道町等の数町を10年年季の公園付属地に指定、その地代を公園地の維持管理費とした。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1882(明治15)年に浅草寺支院の顕松院を併合。1884(明治17)年1月から一区から六区に分けられ、同年9月にはさらに浅草馬道町一~三、五丁目の各一部を併合して七区が追加された(七区は後に除外された)。一区は浅草寺本堂周囲、浅草神社、二天門、仁王門(宝蔵門)、五重塔、淡島堂等。二区は仲見世の地。三区は浅草寺本坊伝法院の敷地。四区は公園中の林泉地、大池、ひょうたん池の辺り。五区は俗に「奥山」と呼ばれた所で公園の北部。六区は見世物の中心地、ひょうたん池を除く現在の浅草六区ブロードウェイ。七区は公園の東南部。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。
1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、二・三区の各一部が雷門二丁目、五区の一部が馬道一丁目に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、浅草一・二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:浅草公園地三区
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