【浅草①087】新吉原揚屋町
町番号:浅草①087
町名:新吉原揚屋町
読み方:しんよしわらあげやちょう Shin-Yoshiwara-Ageyachō
区分:町丁
起立:1657(明暦3)年
廃止:1966(昭和41)年9月30日
冠称:「新吉原」、さらに1947(昭和22)年3月15日から1966(昭和41)年9月30日までは「浅草」
現町名:台東区千束四丁目
概要:大門を入って右側、新吉原江戸町一丁目と新吉原京町一丁目の間にあった。「揚屋」というのは遊客に座敷を貸して遊女を斡旋する商売で、客の指名を受けた遊女が揚屋入りするのが所謂「花魁道中」である。元吉原では揚屋は廓内各町に散在していたが、新吉原では1町に纏めて「揚屋町」とした。揚屋の全盛期は天和(1681~1683年)・貞享年間(1684~1687年)で20数軒に達したが、元文期(1736~1740年)には5軒に減り、宝暦期(1751~1763年)には皆無となった。揚屋遊びには膨大な費用を要したからで、揚屋に代わって繁盛したのが遊客を遊女屋へ案内する引手茶屋である。『吉原七不思議』に「揚屋あれど揚げはなし」がある。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数101・人口416(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1966(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、現行の千束四丁目に編入となり消滅。
僅かに町域から外れたところにせっかく設置されている町名付き電灯だが、「AGEYAMACHI」と読み方が間違っている。
撮影場所:新吉原揚屋町
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