【本所①006】本所松坂町

町番号:本所①006

町名:本所松坂町 一・二丁目

読み方:ほんじょまつざかちょう Honjo-Matsuzakachō

区分:町丁

起立:1703(元禄16)年

廃止:1929(昭和4)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本所」

現町名:墨田区両国二・三丁目

概要:1694(元禄7)年頃、町屋敷となる。1703(元禄16)年、吉良上野介下屋敷跡地に一丁目が、宝永年間(1704~1710年)に御竹蔵跡武家屋敷が町屋となり、二丁目が起立。町名の由来は、徳川の旧姓松平に因んだもの。一丁目西方隣に本所牢屋敷があり、二丁目を俗に「上野長屋(こうずけながや)」と呼んだ(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、二丁目の拡大に伴い、1702(元禄15)年12月に大石良雄以下47人の赤穂浪士が討入った吉良邸跡は5番地になる。同年の戸数295・人口1,287(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に所属。

1929(昭和4)年、帝都復興計画の一環により、東両国二・三丁目に編入となり消滅。

※『本所区史』を参考にすると多少の喰い違いが生じる。「 一丁目の西北側の町屋は元禄9年12月7日の起立に係り、東側は御竹蔵跡で元禄の初め頃から武家屋敷となり、同16年には町屋を設けた。里俗町内東通りは道幅が広く、「大横町」と唱え、北方回向院裏門通りを御台所町と呼んでいるが、この御台所町とはこの通りに御台所人が居住していたからである。 二丁目は一丁目と同じく寛文年間に設けられた御竹蔵の跡で、元禄の初年に御竹蔵を廃して土地と為し、近藤登之助に邸となったが、後14年末に吉良上野介の下屋敷となった。しかし、赤穂浪士の討ち入り事件等により、同16年11月公収されて町屋となり、一・二丁目とも寛永年間には純然たる市街地となった。その後、明治5年6月には本田内蔵助、土屋佐渡守の邸地を併合。里俗当町を「上野長屋」と呼ぶのは吉良上野介の邸地の長屋があったからである」とある。

撮影場所:本所松坂町二丁目

撮影地:墨田区両国三丁目26番8号(墨田区立本所松坂町公園 吉良邸跡)

←005本所小泉町 007本所相生町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿