【深川①012】深川黒江町

町番号:深川①012

町名:深川黒江町

読み方:ふかがわくろえちょう Fukagawa-Kuroechō

区分:町丁

起立:1695(元禄8)年(江東区は1629(寛永6)年としている)

廃止:1931(昭和6)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区永代二丁目、福住一丁目、門前仲町一丁目

概要:深川猟師町8ヶ町の1つで、浜十三町の1つでもあった。開発当初は「助右衛門町」と称し、御菜御肴御用を務め、無年貢地であった。1670(寛文10)年の検地から年貢地となる。1695(元禄8)年の検地の際、石高を24石余と定め、町名を町域を流れる黒江川に因んで「深川黒江町」と改称。1699(元禄12)年、町内に新たに堀が造られた際、一部が上地となり、黒江川向岸の深川北川町続に代地が与えられる。1713(正徳3)年から町奉行支配となるが、引き続き年貢を納め、町奉行・代官の両支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数497軒、代地の家数19軒(町方書上)。1682(天和2)年までは浄土宗真光寺があったが、類焼後上地となる跡地の一部に1702(元禄15)年、浄土真宗盛益山西念寺が移転。町内には「通黒江町」、「東黒江町」、「土器町(かわらけ町)」、「日影町(日陰町)」、「西念寺横丁」等の俗称があった(備考)。また、加賀金沢藩前田氏抱屋敷・物置場があった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、代地は深川福住町の一部となり、深川佐賀町二丁目代地と、1872(明治5)年には西念寺をそれぞれ合併。同年の戸数362・人口1,582(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。1904(明治37)年、黒江川の埋立跡地に深川への市街電車の第1号が開通し、繁華な地となった。また明治中期頃から「夕かし」といい、夕方から魚市場が開かれたが、関東大震災後、築地の中央市場へ併合された。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、永代二丁目、福住町一丁目、門前仲町一丁目に編入となり消滅。現行の永代二丁目、福住一丁目、門前仲町一丁目のうち。

撮影場所:深川黒江町

撮影地:江東区永代二丁目31番17号(セブン-イレブン門前仲町駅西店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。