【深川①036】深川霊巌町

町番号:深川①036

町名:深川霊巌町

読み方:ふかがわれいがんちょう Fukagawa-Reiganchō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1932(昭和7)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区白河一、三丁目、平野一・二丁目、三好一~三丁目

概要:1869(明治2)年、深川霊巌寺表門前(町)深川霊巌寺裏門前(町)が合併して起立。1872(明治5)年、浄土宗日照山専求院法禅寺、同宗龍徳山雲光院の寺地と周辺の武家地を合併。同年の戸数221・人口637、物産に筆、股引等があった(府志料)。寺地が町域の約9割を占めていた。著名人の墓所が多く、浄心寺には矢部駿河守定鎌、間宮林蔵、三沢の局、狩野永徳、霊巌寺には松平定信の墓や江戸六地蔵5番の1つがある。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1882(明治15)年、深川区役所が深川伊勢崎町から移転。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。明治30年代の町内には霊岸尋常小学校があった。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、白河町一、三丁目、野町一・二丁目、三好町一~三丁目に編入となり消滅。現行の白河一、三丁目、平野一・二丁目、三好一~三丁目。

※『角川日本地名大辞典』には「昭和7年、白河町1・3丁目、平野町1~2丁目、三好町1~3丁目となる。現行の白河1・3丁目、平野1~2丁目、三好1~3丁目のうち」とあるが間違い。

撮影場所:深川霊巌町

撮影地:江東区白河一丁目3番32号(霊巌寺)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。